大阪地方裁判所 昭和33年(ワ)2987号 判決 1965年3月10日
原告
大阪復興信用組合
代表者
植原善兵衛
代理人
松本茂三郎
被告
長崎市
代表者
田川務
指定代理人長崎市事務吏員
藤村進
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し、金一、〇二〇万五、三〇〇円を支払え。訴訟費用は被告の負担とする」との判決並びに担保を条件とする仮執行の宣言を求め、請求の原因として次のように述べた。
一(1)、川口フキは、昭和一五年七月二七日、長崎市鍛治屋町甲四三番の九宅地一六一坪(以下本件土地という)を競落所有していたところ、同人の意思に基づかないで、本件土地につき、昭和二三年一二月三一日、岡田モヨのため売買予約を原因とする所有権移転請求権保全仮登記がなされ、ついで、昭和二四年三月九日右仮登記に基づく所有権移転の本登記がなされ、岡田は更に、建設省に対し、長崎復興都市計画街路事業の街路予定地として本件土地を売渡した。そこで、川口フキは、本件土地についての自己の所有権を保全するため、長崎地方裁判所に岡田モヨを相手方として、本件土地につき処分禁止の仮処分を申請し、同裁判所において同年四月八日本件土地につき売買、譲渡、質権抵当権の設定等その他一切の処分行為をしてはならない旨の処分禁止の仮処分命令をえ、翌九日右登記がなされた。にもかかわらず、建設省は右仮処分を無視し、右仮処分登記後の同年六月二一日、同年三月三〇日本件土地を岡田モヨより買収したことを原因に、本件土地につき所有権取得登記を経由するに至つた。而して、川口フキは、同年六月八日、前記仮処分の本案訴訟として、同裁判所に前記岡田モヨの本件土地についての所有権取得登記の抹消登記手続請求訴訟(同庁昭和二四年(ワ)第六七号)を提起し、該訴訟事件は、第一審の長崎地方裁判所並びにその控訴審の福岡高等裁判所(同庁昭和二五年(ネ)第四五五号)のいずれにおいても、川口フキの主張が認められて同人の勝訴となり、その上告審において、岡田モヨが川口フキの請求を認めて昭和二九年一〇月二一日和解(甲第四号証の三)により解決した。このため、岡田モヨは、最初から無権利者となり、無権利者から譲り受けた建設省もまた本件土地の所有権を取得しえない筋合となり、前記建設省の本件土地についての所有権取得登記は、昭和三一年四月一九日、前記岡田モヨの所有権取得登記が右和解を原因として抹消されると同時に、前記仮処分の効果として川口フキの単独申請により、抹消されるに至つた。<以下省略>
理由
一、川口フキが昭和一五年七月二七日競落所有していた本件土地に、昭和二三年一二月三一日岡田モヨのため売買予約を原因とする所有権移転請求権保全の仮登記がなされ、ついで昭和二四年三月九日右仮登記に基づく所有権移転の本登記がなされていたこと、ところが、長崎復興都市計画街路事業が決定認可され、被告が建設省において所有者の岡田モヨより本件土地を右事業の街路予定地として買収したとして、同年三月三〇日以降本件土地を占有し、本件土地に道路を新設し、或は市内電車軌道を敷設し、右事業完成後は、引き続き道路管理者として、本件土地を道路として一般公共の用に供し、これを占有していることは、当事者間に争いがない。
二、ところで、前記岡田モヨの本件土地についての所有権取得登記につき、原告は、その原因が川口フキの意思に基づかないものであるから、川口フキが本件土地の所有権を失つたことはなく、このことは原告主張の訴訟事件の上告審での和解において岡田モヨが確認したと主張するのに対し、被告は、右所有権取得登記は真正なものであつて、これによつて、岡田モヨが本件土地の所有権を取得したものであり、このことが右訴訟事件で確定したと抗争するから、この点について判断する。
1 岡田モヨの本件土地についての所有権取得につき、川口フキと岡田モヨ間に紛争が生じ、川口フキが岡田モヨを相手方として長崎地方裁判所に本件土地の処分禁止の仮処分を申請し、同裁判所において、同年四月八日本件土地につき売買、譲渡、質権抵当権の設定等その他一切の処分行為をしてはならない旨の仮処分命令をえ、翌九日その記入登記を受けたうえ、同年六月八日右仮処分の本案訴訟として同裁判所に、岡田モヨを相手方として、同人の本件土地についての所有権取得登記の抹消登記手続請求訴訟を提起したことは、当事者間に争いがない。
而して、<証拠>によると、右訴訟事件の第一審の長崎地方裁判所においては、岡田モヨの長崎市鍛治屋町甲四三番の二宅地一六九坪八合二勺(後分筆の結果、同所同番の二宅地八坪八合二勺と同所甲四三番の九宅地一六一坪(本件土地)となる)及び同所甲三九番の一宅地二一坪九合五勺(後に一七坪四合八勺と四坪四合八勺となる。)(以下右両宅地を係争土地という。)についての所有権取得登記は、川口フキの意思に基づかない無効なものであるという川口フキの主張に対し、岡田モヨは、「昭和二三年一二月二八日、川口フキに係争土地を売渡担保として、金二五万円を、利息月七分弁済期昭和二四年二月二八日、弁済期に右借用金を弁済しないときは、担保物件たる係争物件を以て代物弁済に充てることができるという約定で貸与し、係争土地につき売買予約による所有権移転請求権保全の仮登記を経由するとともに、代物弁済により係争物件の所有権を取得した場合、これに必要な一切の書類を川口フキより預かつていたところ、川口フキが右借用金を弁済期に弁済しなかつたので、右約定に基づき係争土地の所有権を取得し、前記仮登記に基づく所有権取得の本登記手続をなしたものである」と、係争土地についての所有権取得原因を主張したが、右主張が認められず、岡田モヨに右係争土地についての所有権取得登記の抹消登記手続が命ぜられたこと。これに対し、岡田モヨが控訴し、控訴審の福岡高等裁判所においては、岡田モヨの右係争土地についての所有権取得の原因についての主張が認められ、係争土地についての岡田モヨの所有権取得登記は、原因を欠く無効のものであるとしてその抹消登記手続を求める川口フキの本来の請求は棄却されたが、「川口フキと岡田モヨとの間に、昭和二四年五月一七日、川口フキにおいて同月末日までに金三五万円を岡田モヨに支払えば、これと引換に、岡田モヨは川口フキに対し、係争土地の所有権取得登記の抹消登記手続をなす旨の裁判外の和解が成立したという主張事実に基づく川口フキの予備的請求が認容され、岡田モヨに第一審同様係争土地についての所有権取得登記の抹消登記手続を命ぜられたこと。右判決に対し、岡田モヨは更に最高裁判所に上告したが、川口フキは本来の請求を棄却された部分について何等上訴の手続をとらなかつたこと。そして、上告審においては、昭和二九年一〇月二一日、(イ)岡田モヨは係争土地の所有権が川口フキにあることを認め、本件所有権取得登記の抹消登記手続をなすこと、(ロ)川口フキは、係争土地のうち甲三九番の一宅地一七坪四合八勺及び甲四三番の二宅地(八坪八合二勺)の一部(浜荘の建物の南側の境界線を延長して道路面に至る以南の部分)の所有権を岡田モヨに無償譲渡すること、(ハ)以上の関係に基づく土地の所有権移転に伴う当事者間に必要な登記手続を昭和二九年一一月一五日までに行い、川口フキは登記手続完了と引換に金八〇万円を岡田モヨに支払うこと、を条項とする裁判上の和解が成立し、終了したものであることを認めることができる(事件の経過については争がない)。
2 右認定の事実からすると、上告審における右和解は、原告主張のごとく、「岡田モヨの本件土地所有権取得登記の原因が川口フキの意思に基づかない無効のものであり、従つて本件土地の所有権が依然川口フキに帰属すること(川口フキの本来の請求の原因)を出発点としてできたものか、それとも、右事件の控訴審の認定、即ち、「右登記原因が有効で、本件土地の所有権がいつたん岡田モヨに有効に移転したが、昭和二四年五月一七日の裁判外の和解契約により、川口フキが買戻した関係から、上告審の和解当時においても、本件土地の所有権が川口フキに存するという点(川口フキの予備的請求の原因)」を起点として成立したものか、はた又、上告審の和解の場ではじめて川口フキの所有権が認められたことになるのかは、明かでない。尤も、上告審の右和解条項に、「岡田モヨは係争土地の所有権が川口フキにあることを認め、昭和二四年三月九日付でなした係争土地所有権取得登記の抹消登記手続をなす」という一項が存する。しかし、抹消登記の方法は、甲から乙への権利移転が全然ないのに、その旨の移転登記がなされている場合に用いられるばかりでなく、甲から乙への権利移転があつてその登記を経由した後、乙から甲へ当該権利が復帰した場合の登記の方法として、登記費用等の関係から、甲乙間の当初の権利移転の登記を抹消することが便法として用いられるから、前記和解条項の存することは、原告の主張を証するに足りない。従つて本件土地の所有権が岡田モヨに移転しないで川口フキに存することが、上告審の前記和解で承認されたとの原告の主張は、採用できない。
他方、前記訴訟事件の控訴審では、川口フキの本来の請求が棄却されたのに対し、川口フキは上告も附帯上告もしていないが、川口フキの右敗訴部分は、岡田モヨが川口フキの予備的請求を認容した控訴審の判決に対して上告をなしたから、移審の効力を生じ、確定するに至らなかつたというべきである。従つて、本件土地の所有権は川口フキに存しないことが確定したという被告の主張も、理由がない。
3 そこで、岡田モヨが本件土地の所有権取得登記を了した昭和二四年三月九日当時、果して本件土地の所有権を有効に取得したか否かについて、検討する。<証拠>を総合すると、「川口フキは、高田徳一を代理人として、昭和二三年一二月三一日岡田モヨより金二五万円を、利息月七分、弁済期昭和二四年二月末日と定めて借り受けることを約して、手数料、利息等を差し引いて金二〇万六、四〇〇円の交付を受けた。その際、川口フキの右代理人は、岡田モヨに対し、右債務の支払を確保するため、本件土地をふくむ前記係争土地を売渡担保として提供し、売買予約による所有権移転請求権保全の仮登記をなすことを承諾するとともに、右弁済期に債務の弁済をしないときは、これを条件として、右担保物件をもつて代物弁済に充てられても異議なく、この場合売買名義による所有権移転の本登記をなすことを承諾し、右各登記に要する委任状等の必要書類を岡田モヨに交付した。そこで、岡田モヨは同日、右仮登記を経由していた、川口フキが右弁済期に債務の弁済をしないので、岡田モヨは、前紀約旨に基づいて、係争土地の所有権を取得し、昭和二四年三月九日売買名義による所有権取得の本登記手続を経由するに至つたものである」ことが認められる。前掲<証拠中>、右認定に反する部分は、前掲各証拠と対比して信用できないし、他に右認定を動かすに足る的確な証拠ない。
そうすると、岡田モヨの本件土地についての所有権取得登記は真正なものであつて、岡田モヨは適法に本件土地の所有権を取得していたものといわなければならない。
4 而して、建設省が昭和二四年三月三〇日本件土地をその所有者の岡田モヨより買収したことは、<証拠>により肯認することができ、(買収の事実は争がない)、その所有権移転登記を受けたのが、前記川口フキの岡田モヨを相手方とする本件土地についての処分禁止の仮処分の記入登記がなされた同年四月九日より後の同年六月二一であることは当事者間に争がない。
5 原告は、岡田モヨの右処分行為は本件処分禁止の仮処分にてい触するものであり、前記訴訟事件における上告審での和解は本件仮処分の本案を成すものであると主張するので、建設省の本件土地についての所有権取得が本件処分に対抗しうるものかどうかについて考える。
(イ) 昭和二四年四月九日に発令された本件仮処分が、岡田モヨの本件土地についての所有権取得登記は、川口フキの意思に基づかない無効なものであるということを申請原因とし、川口フキの本件土地についての所有権を被保全権利とするものであつたことは、弁論の全趣旨により明らかである。ところで、仮処分においては、その発令時に、いかなる構成によるにせよ、その被保全権利の存在することが、必須要件である。このことは、仮処分の申請人は仮処分の請求(被保全権利)につき疎明することを要し(民訴七五六条、七四〇条)、仮処分発令後の被保全権利の消滅変更等が事情変更による仮処分命令の取消事由とされ(同七五六条、七四七条一項前段)、又仮処分命令は発令と同時に執行力を有し、発令後(債務名義成立後)の当事者の承継につき、執行文の附記を要する(同七五六条、七四九条一項)ものとされているのに徴して、明かである。しかるに、本件仮処分の被保全権利がその発令時に存在していたことが、前記訴訟事件の上告審での和解において確認せられたものとは断定し難いこと、上叙のとおりであり、かえつて、その被保全権利の存しないことが前記説示に照して明かである。
(ロ) なお、川口フキが前記昭和二四年五月一七日の裁判外の和解又は前記上告審での和解により、新たに岡田モヨより本件土地の所有権をゆずり受けたとして、そのゆずり受けにかかる所有権に基づく登記抹消請求の本案につき、本件仮処分の保全的効力が及ぶかどうかについて言及するに、その場合の被保全権利としての所有権は、本件仮処分発令後に新たに生じた法律事実に基づくものであつて、本件仮処分をそのような被保全権利にまで流用することは、仮処分発令時に被保全権利の存在を必須要件とする制度の趣旨に反するばかりでなく、仮処分の本案付随性の趣旨を逸脱し、仮処分に対応して考えられる本案の範囲を不当に拡張するとともに、ひいては仮処分債権者に不当に優越的地位を与える結果となるから、かかる流用は到底これを許すことはできない。
(ハ) 結局、川口フキは本件仮処分の被保全権利を有しないし、又本件仮処分の庇護のもとに、その発令後の取得原因を理由としても、本件土地の所有権を建設省に対し主張できないこととなるから、建設省は本件仮処分に影響されることなく、本件土地の所有権を取得したものといわねばならない。そして、岡田モヨ及び建設省の本件土地についての各所有権取得登記が昭和三一年四月一九日、前記川口フキと岡田モヨ間の裁判上の和解調書及び本件仮処分に基づいて、川口フキの単独申請により抹消されていることは、当事者間に争がないけれども、右抹消登記は、利害関係を有する建設省の承諾なしに行われ、又右和解調書は、川口フキが建設省に対抗しうる裁判と解しえないこと、上叙説示に照して明かであるから、右登記抹消は無効である。従つて、右登記抹消の事実は、建設省が本件土地所有権の権利主張をなすことを何等妨げるものではない。
三、以上の次第で、本件土地につき、川口フキが建設省に対抗しうる所有権を有していたことを前提とする原告の本訴請求は、爾余の点について判断するまでもなく、失当として棄却を免れず、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。(裁判長裁判官木下忠良 裁判官美山和義 大須賀欣一)